システムに作られるリーダー

リーダーは品質管理された方がいいのかもしれない。

中心は黒がいい - レジデント初期研修用資料」で、
medtoolzさんが、リーダーを2タイプに分類している。

「黒い」リーダーは、きれいな理念の裏側で、理念の削り要素を共有しようとする。「これは削ろう」の基準を共有できたチームは、お互い持ち寄った何かを大胆に削れる。集めた何かを削った結果、「これをやりたい」という何かが達成される。

「白い」リーダーの組織には、削り要素が存在しない、あるいは削るためのルールが備わっていない。盛り要素だけで構成してしまうと、理念は好き勝手 に運用される。「これをやりたい」のならば「これもやるべきだ」という論法で、誰もが好きなものを盛りはじめて収拾がつかなくなってしまう。

リーダーを分類する基準となるのが、リーダーの持っているアイデアの量だ。
アイデアの枯渇したリーダーを「白い」リーダーとして、その弊害を述べている。
最後にmedtoolzさんは、

自分がどちらの側なのか、自身からは見えないけれど、「黒」でありたいなと思う。

とし、「黒い」リーダーをベターな選択として挙げているようだ。


なるほど、と思いながらも、僕は記事中のこの三文をもっと深堀りしたいと思う。

アイデアには限りがある。限りあるものはそのうち枯れる。アイデアが枯渇したリーダーは、まわりから見て白くなっていく。

リーダーは宿命的に「白く」枯れはててしまうのであって、
人が死ぬのと同じくらい変えられないことなのだと思う。
その絶対的な流れで、「黒くありたい」という理念は、
「1度リーダーなったら長くリーダーでありたい」ということや、
「老いても若くありたい」ということに通じそうだ。
しかし、その理念のもとに、
同一人物がリーダーでいる弊害というのは、
かなりハッキリしたものじゃないだろうか。

「老害」だ。
自分の黒さに執着するリーダーは、
平均以上に長くリーダーであろうとし、マッチョな発想をする。
例えば、輪るピングドラムというアニメでの、夏目の「祖父」がこれだ。
彼は、「すりつぶされたりせんぞ!」のセリフの元、何かと戦っているように見えたが…。
カリスマ性はある、パワフルでもある。
でも、部下にはもっとも厳しいリーダーだ。
リーダー以上に「黒く」若く可能性のある人が、
いつまでたってもリーダーになれない。
その人の抱えるアイデアが活かされること無く、
生殺しにされるという機会損失がうまれる。
あるいは、リーダーの権力によって潰されるかもしれない。
つまり、リーダーは必要以上に長くいることで、
リーダーのタイプが「何色」であろうが、その組織への損失は生じているのだ。

さらに、引用先の分になぞらえて書くのであれば、以下のようになる。
”黒に執着するリーダーは、周囲の黒さに嫉妬する。
理念への同調を強いつつ、また自分が現場であるかのようにも強要することは、
リーダーにとって、自らの黒さを裏付けるための必然ですらある。
リーダーが自身の黒さを何度も確認する強迫観念的な行為の結果、
何色の人でも、組織からは人が抜けていく。
あるいはリーダー自身によって潰される。
賛同する人が少なくなった頃、リーダーは加速度的に黒くあろうと努力する。
悲鳴のように「俺のように理想的な人間になれ」と呪い、
そのうちみんな呪われるかいなくなってしまう。”

リーダーのタイプがどうであれ、損失を防ぐには、
リーダーを特別視せずに、組織内のシステムの一部とみなすことだ。
加えて、「リーダーは組織の中で消費されている」、という事実をリーダー自身が受け入れることだ。
特に、アイデアが消費されているということになる。

システムの視点からリーダーの弊害を防ぐには、

  • 一定の品質のリーダー候補をつくる
    リーダーになる前に、教育・トレーニングを十分ほどこす。
    これで、個性による、「ばらつき」をおさえる。
  • リーダーの存続期間を成果に関わらず一定にする。
    統計的にリーダが能力を発揮しピークとされる期間より少し短くする。
    延長をせずに、別の人と交代させる。
    トレーニングによって「ばらつき」が少なくなるということは、
    ある程度、リーダーの品質に統計的な平均を取ることができるということだ。
    そのデーターの蓄積から存続期間を決定する。
  • リーダーがやめたときの待遇を厚くする。
    後述の「報われる」リーダーで説明する。

しかしながら、これは「歯車のような」リーダーであり、
リーダーには代わりが存在し、消費されているとなれば、
リーダー自身は何をモチベーションとすれば良いのだろう。
どう「報われる」と感じられればよいのだろう。

先日、納得感と満足感の違いについて書いてみたが、
そこにヒントがあるように思う。一部を書き出すと、

出発点を忘れず、
最終形になりうる「何か」を思い浮かべながら、
冷静でいなければ、簡単に暴走してしまうのだ。
最優先で捨てることは「納得感」ということになる。

アイデアを活かすことが「納得感」、報われることが「満足感」とするなら、
リーダーにいったんなってしまったら、
リーダーであることの「納得感」をもとめてはいけない。
そして、満足感はリーダーをやめたときにはじめてうまれるということを、
教育・トレーニング等によって、
まずは「あらかじめ知識として知っておくこと」なのだと思う。
(あるいは、長く勤めることで、満足感が増えるとは限らないことも知っておく)

つぎに、徹底的にリーダーの働きを評価する。
これにより、リーダーとしての大きなPDCAサイクルを廻すようにする。
さいごに、評価がどうであれ、周囲は「仕事として徹底的に」ねぎらう。
辞めるリーダーの感情面を満たす。
これがとても難しいと思うけれど…。
「過去の役割」を確認し、「今」ご苦労様と部下に労われ、「次」に活かせるのなら、
長くリーダーを努めなくても報われたと言えるのかもしれない。

まとめると、
「黒くありたいリーダー」はマッチョで、
若い人(のアイデア)が生かされない大きな機会損失を生じる。
どういうタイプのリーダーであれ、
その弊害を防ぐには、リーダーの特別視を止める。
そして、教育・トレーニングによって、
リーダーの品質管理を行うシステムづくりをする。
定期的にリーダーを交代する。
辞めるときの待遇を厚くする。
リーダーはアイデアが活かされることの「納得感」を求めてはいけない。
むしろ、辞めることによって得るものを確認し、
「報われた」と感じるようにする。

「報われるリーダー」を作り続けるというのは、相当難しい。
同時に、新しく、素晴らしいリーダーは、
このようにシステムに取り込まれたものを指すのだと思う。
そして、「報われるリーダー」とは何か?という問いの元、
リーダー・システム共にノウハウを蓄積していくことで、
はじめて理想的なリーダーは生まれるのかもしれない。